自転車3人乗りを自動車と同じような方法で考えてみました 我が家の場合、車がつかえるのと預けれる人がいるので事なきを得ていますが、結構深刻な問題だと思います。 なかなか妙案が浮かばないのですが、自動車の定員で子供の場合3人を2人にカウントしますが、同様な考え方でやってみてはどうでしょうか? こんなかんじで係数をはじき出してみました。 0歳~1歳 0.4 2歳〜3歳 0.5 4歳〜5歳 0.6 6歳〜   1.0 で、2未満であれば違反にならないものとした場合、 0歳児と3歳児と母親の3人乗りはOK 1歳児と4歳児と母親の3人乗りはOUT 我が家のことを思い浮かべながら考えてみました。 この計算で行くと今の我が家では(2歳と4歳と母親)3人乗りは出来ないことになりますが、たしかに危険な感じです。 逆に去年の段階では、まだ運転している図が想像できるかな?という感じです。(私の住んでいる自治体では、3人乗りは禁止です) ただ、事故は起こってしまってからでは遅いです。上記の算定式は事故率などを勘案したものではなく、我が家の子供の寝顔を見ながら考えただけです。 この件に限らず、子育てのしやすい安全な環境を社会全体で考えなくてはいけないと思っています。 1、2、さぁぅぁん、4,5、ロゥォうくぅ M-1が年末年始のお笑い番組のスタートだとすれば、R-1がその終わりでしょうか。 今年はキャプテンボンバーが出てこないのが寂しいですが、今年は世界のナベアツに期待しています。 最初見たときは、今までにない衝撃的な笑いでした。なんと表現してよいのか・・・ さっき部屋を真っ暗にしてナベアツの練習をしてみました。 意外と上手に出来ました。いつかどこかで使おうと思います。 司法の世界における判断能力 このニュースを聞いておかしいなと思う人が大半だと思っています。 どうも、「裁判」が「ゲーム」で勝ち負けを競っているだけの感が否めません。 過ちを犯した人間が、どの程度の刑事責任を負うのかその犯した過ちと等価(それ以上でもなくそれ以下でもなく)な判断が下される事を、裁判に関わる専門家はそれぞれの立場から目指してほしいものです。 弁護士は裁かれる人間のニーズ至上主義で動いてしまうので、特に刑事に関しては意識して欲しいものです。本当に弁護士に求められるのはクライアントが健全な状態で次の一歩を踏み出せるようにしていくことであって、クライアントの目先のニーズに振り回されては失格だと思います。 いずれにしても、このような判決が出てしまう世界は不健全だと思います。 「水の持参を頼んだから判断能力はあった」なんてのがまかり通って笑ってしまいますが、 この論法ですと「事故を起こしてから怖くなって逃げた」なんてのも判断能力があったと認定されるかもしれませんし、「事故前に蛇行運転や居眠り、衝突事故などはなかった」というのも、事故を起こすまでに何m車が動いていたら認定されるのか興味深いです。 私の常識ではお酒を飲んで車を運転することを決めた時点で「判断能力を失っている」わけですし、事故後水の持参を頼んだことが判断能力に結びつきません。 私が難波のスナックに行った帰り、細かい事は覚えていなくてもスナックのおねぇさんの名刺等の証拠を見事なまでに処理し家庭内のトラブルを未然に防いでおります。無論車を安全に運転するどころか、タクシーでも無事に家まで帰れるかどうか怪しい状況ですけどね。 裁判官にこのような判断をされると被害者は当然ですが、加害者にとっても 刑に服したところでその後の人生に暗い影を落とすような気がします。 そして私は非常に不安感を覚えています。 司法の世界はそのような世界なのですかね。 単なるノイズなのか微笑ましい足音なのか?  そういえば、受験勉強しているときは結構お隣さんの物音に過敏だった時期もあったなぁと思います。子どもを授かってから一気に変わってしまいましたが・・・ というより、とめられないんですよね。もちろん叱りますが、椅子からジャンプしてみたり あぁジュースはこぼすし、チョコは食い散らかすしソファーも・・・あぁ 挙句の果てには私の新車のシートも(これはニュースと関係ないですね) そんな生活をしていたら、そういう音も気にならなくなってきました。 微笑ましいと言うのか、なんというのか セクハラの話と一緒ですよね。 相手方にどのような印象を持っているかで、その行動に対する評価は全く変わってしまう。 (無論限度はありますが) 相互に気配りできる関係があれば、裁判にならなかったのだと思います。 私も気をつけます 26年ぶりだそうで 明日のとくダネのオープニングはこの話でしょう。 がんばれタブチ君全盛のの頃の西武は、とてつもなく弱かったような気がします。 私も当時は小学生。西武の野球帽かぶって修学旅行に行ったもんだなと思い出しました。 広島相手に3連敗からひっくり返した日本シリーズもありましたよね。 西武と言えば強いイメージが染み付いてました。 強かった西武を象徴する選手を思い浮かべると デストラーデ・・・ガッツポーズが好きでした。 工藤・・・未だ現役ですがあの頃はやんちゃな感じで 石毛・・・選手時代にGS神戸で見たことあります。ブルーウェーブの監督時代は嫌いだったので見に行きませんでしたが(気合入りすぎだよ。現役の時みたいに楽しくやりゃよかったのに) 渡辺久・・・スポーツイラストレイテッドの表紙をはじめて飾った日本人野球選手でしたっけ?(うろ覚えですが大リーグがストライキでそうだっだような) 清原・・・ジャンピングニー 秋山・・・ばくてんは日ハムの島田誠が元祖だったっけ?でもこの人の代名詞。数学者ではない。 永射・・・左のワンポイントとしては、私の中で一番 森山・・・新人らしからぬ雰囲気で新人王。 鹿取・・・でも「ピッチャー鹿取」は王さんの口癖。 それと、レオだと思っていた帽子のマスコットは違うんですよね。 おしりかじりむしぃは、たかじんの委員会で知りました 日曜日のたかじんの番組の中ではこの歌をパロったものが流れてて、 原曲の面白さとあいまって、笑ってしまいました。 どんな話なのか調べてみたら、かじりつかれた人はたちまち元気になるそうですね。 近くにいないかなぁ、おしりかじり虫。 お金かじり虫は私の財布の中にいるみたいですが・・・ KY首相さようなら、再チャレンジする? 安倍首相がなぜこの時期に???との思いはあります。体調を崩されているのもその一因との報道もあったり、まだまだいろんな話が出てくるのかなと思いますが、 とにもかくにも、日本の政治は7月の終わりの夏真っ只中で止まってしまっています。 ここ最近は、公開いじめなのかなと思うぐらいの追い込まれている映像が出ていたと思います。本人がまいた種なので当然なのですが、周囲が本人の弱り具合と全体の状況等を勘案して軟着陸に導いてほしかったなぁ てのが本音です。もっとも軟着陸できるタイミングはあったと思うのですが・・・ 今後このまま、淡々と政治家として過ごすようであればガッカリです。 国民はとんでもない被害をこうむったことを忘れてはなりません。 もし政治家を続けるなら、 「再チャレンジってのはこーゆーことだぜっ」てワイルドに言えるぐらい、 日本の国が良くなることを死ぬ気でやって欲しいものです。 そんぐらいやってもらわないと償えないですよ これ 事務の方に失礼な話だと思うのですが? 「残業代が出なかったら早く帰宅する動機付けになる」というのは、なんともいただけない話だと思います。 こんな言い方だと、まるで事務職の方は残業代欲しさに必要でもない仕事をやっているのではないかと決め付けているように見えて、非常に気分が悪いです。 少なくとも私の知る事務の方は毎晩遅くまで仕事をされていますよ。頭が下がります。本当は家族サービスしなくちゃいけないはずなのに・・・ さらに『バカな課長の下で仕事するのはやめよう法案』という名なら通るとおっしゃったそうですが、転職キャンペーンでもはじめるのでしょうか?これは、ちょっと理解できないネーミングです。 たしかにホワイトカラーエグゼンプションについては、負のイメージの報道が多かったような気がしますが、本当に必要でよいものなら既存の制度でだめな理由を含めて、わかりやすく説明してもらうことが一番だと思います。 幸い、舛添要一厚生労働相は「国民にわかりやすく説明出来る」方ですから、是非お願いしたいものです。期待します。 その必死さが、素敵なんですよね。でも・・・ ありえない事態が起こったとき、そしてそれがその人たちの個人の能力と根性によって守られたもので、人の命や財産に被害を及ぼさないものの場合、 そのがんばっている行為がクローズアップされ美しく映るものだと思います。 本当は、そのようなこちらの事情は表に出さないように片付けるのが、プロの姿だと思います。 解説の田淵さんに助け舟を出されるぐらい、ぐだぐだな状況だったのだと思いますが・・・ 願わくば、今回の件を通して何気ない日常の中にも、必死にがんばっている人がたくさんいて成り立っていることに気づく人が増えたら良いんだろうなと思います。 さて、そのアナウンサーは猛反省していることと思いますが、組織としてどう思っているのか気になるところですし、個人の責任にしたりなんにも思ってないようでしたら、ガッカリです。 特に、最近のマスメディアは、物申すメディアとして情報伝達の枠を超えた内容が目につきますがベースとなる部分の情報伝達・記録のクオリティをおろそかにしてはならないと思いますし、そんなスタンスでは物申す資格は無いと思っています。 アナウンサーは過酷な状況の中でがんばってお疲れ様 という感じです。急に声が出ない時はあります。しかし番組担当者のコメントを見る限りでは、放送局の意識が(好意的なリスナーと一緒な感覚だとしたら)大丈夫かいなと心配になります。 やりすぎだったかもしれないが、優しいまなざしで・・・ ワイドショーでも取り上げられたこの事件ですが、世の中の多数の人が似たような状況に遭遇して、いろいろな思いをされているんだと思います。 だからこそ巡査長の勇気ある行動を褒め称え、私自身もふむふむと思っておりました。 いまさらストーリーを変えられても・・・ とんでもない場に遭遇した時に動く勇気は、重大なことを告白する時の状況に似ていました。私が言わずにどうするのって感じですよね。 告白したら相手はびっくりするし、もう後戻りできないから突き進むだけっ てな状態になりますよね。 私が遭遇したのは某社の宝塚線の電車に乗っていた時ですが、相手はおじさんたち3人ぐらいが登場するケンカの仲裁?でした。 「あー大変なことになってきたなぁ」 「巻き込まれたら大変だなぁ」 「頼むから流血騒ぎはやめてくれ」 「静かにしてね」 などと最初は思っていたのですが、途中で取っ組み合いのケンカになりはじめました。その瞬間ヤバイと思い、とっくみあいしているおっさんの間に私が入り殴りかかろうとしていたのを止めました。 間に入った理由は、「電車内で流血騒ぎになったらいやだ」「殴ろうとしていたおっさん 殴ったら負けだと思うしこんなつまらんことで人生を狂わせたくなかった」「はやく家に帰りたいのに、大騒ぎになったら事情聴取されるからめんどくさい」等など なのかなと いろいろ振り返ってみましたが、私の中のど根性スイッチが入っただけです。その後はともかく私からは手を出さずに間に入って沈静化させることだけに集中してました。 (当事者は次の駅で駅員に引き渡されましたが) 反省として、本当は「凶器を持ってないか」など、事前にキャッチしてから行動しないとまずいと思うのですが 私の場合はそのようなことも無く(ただし取っ組み合いの間に入ったので首を痛めましたが)ただただラッキーでした。 で、この時感じたのは騒動が終わったあとの乗客の方の私に対する優しいまなざしでしょうか。ねぎらいの言葉をかけてくれた人もいました。 みんな同じことを考えていたんだなと思いました。そう思うと巡査長の件も当初のストーリーに対して優しいまなざしで見てしまうのも当然だと思いますし、激励のメールを送っても不思議じゃないと思います。 いまさら事実は違うといわれても、優しいまなざしで見てしまう私はいけないのかなぁ? やりかたは別として、その心意気は評価したいものです。